さわやかトラウマ一人旅日記

音楽が好きな30代男がぼっちを極めるため、世界や国内をヤケクソ気味に一人旅をしたその記録です!

【家出2020】札幌の中島公園でおじさんひとり赤毛のアン的な空想

札幌でまた行きたかった場所「中島公園」に行きました。それについて書きますね。

でも「うわあーおじさんが公園行った話なんて興味ない草草」と思うかもしれません。

 

 そんなの気にしていません。全く。自分は想像の世界の中に生きているのです。それは最近アニメ「赤毛のアン」に強く傾倒しているからです。

アン・シャーリーはいつも目の前にある美しい風景、アヴォンリーのグリーンゲイブルズ(緑の切母)の風景の中から、妖精を見たり、天使に囲まれたりするのです。そんな時の始まりにはいつも「ああー!なんて素晴らしいのでしょう!」と両手を組んで、うっとりと風景と想像の世界を楽しむのです。

自分もそうしたいのです。別にアン・シャーリーになりたいわけではありません。アン・シャーリーではなく、アンが「本来は呼ばれる名前」であった「コーデリア」なのです。ああ!なんて素敵なんだろう!

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札幌市街、駅前の大通りの果てに、中島公園はあります。入り口から「歓喜の緑の道」が僕、コーデリアを迎えてくれました。この先に行けば、心の友ダイアナ・バリーが待つアイドルワイルドが待っています。待ってて!ダイアナ!

 

この美しい空。空気からも青さが感じられるような気分に。そしてまさに歓喜のごときに青しげる緑の樹木たち!素晴らしい時間がここにありました。

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光り輝くなにかに導かれた先には「きらめきの湖」がありました。おだやかな風が水面を流れていくのを感じました。そう。風。

この風の名前はなんだろう…聞いてみよう風に。聞けない場合には、このきらめきの湖に聞いてみればいいんだ。そうだ。ここにある自然はみな友達なのだから。

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 風花に添うかのような小川の向こう側に、白と空よりも少し青さが控えめな洋館を見つけました。

「これは、見たことが無いけど、見たことがある風景だ」と感じました。そんなはずはないのに。

この洋館は明治時代に建てられたホテルの跡。現実世界ではそうなのだろうけど。自分の世界では、ここでかつて自分は時を永られたんだと思った。

 

そうだ。そうに違いない。家に還ってきたんた。マリラ・カスバートとマシュー・カスバートのいる家に。あの窓を開け放ち、この輝き満ちた公園の景色、いやグリーンゲイブルズの景色を眺めていたんだ、それが私。コーデリア。アンのもう一つの名前。。

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ちいさな奇跡。たくさんいる鴨たちの中からの一羽いや、一人が僕に近寄ってきたのです。おそらくは、この青い空ときれいで丁度の良い空気に機嫌がよくなったのでしょう。

「鴨さんこんにちわ」という心の声を響かせました。

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またしてもの奇跡。

幸福の象徴のハト、それも白いハトも寄ってきてくれました。

「ラリラララ♪」自分も幸福を感じ、思わず口ずさむことなりました。ラリラララ、ロロロロ。「我ながら幼い」「なんということなんだ」という恥じももう忘れていました。旅の恥は、かきすて。

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「夢が現実になる」という言葉があるけれども、この時は、夢と現実の区別がつかなくなってしまっていたことを告白しよう。たくさんの鴨が表れて、僕の中の小川を泳いでいったのだ。きらめきの中へと。

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最近は、下衆な流行語として「シンデレラフィット」という言葉があるらしい。愚かしい欲望と生活感のあふるる美意識の表れなのだろう。その愚かしさを自分も感じてしまった。

まさにこの時は「シンデレラフィット」そのものだったのだ。全てが自分の計算通りにフィットをしたのだ。そうだった、俺はコーデリアだった。

 

コーデリアは中世の欧州の中の小国の中の、第2王女であり、父となるユリン・ヨハン・ベルヌーイは、皇位継承2位という自身の存在をひたすらに呪っていたのだ。そんな彼には自然と鳥たちを愛する慈善家でもあった。その感性がコーデリアにも引き継がれてしまった。「風と話す」という、狂気じみたそして愛おしい「特技」も、父から引き継いだものであったのだ。「血がそうさせてしまった」と、僕は思った。

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この小川のプロムナードは、どこにつながっているのだろうか。

 

光の中に消えていくのは、水だけなのだろうか。生命の源である水をいくつしむような緑たち。聴こえてくるのは、自然がうみだす生活音だけ。音楽はどうなのだろう。クロード・ドビュッシーではありきたりだし、ガブリエル・フォーレでは安直すぎる。トオル・タケミツは良いかもしれない。「雨の樹 素描Ⅱ」なんてピッタリなのかもしれない。ただし、あの金属音を高性能に音に变化をさせたような響きは合わないのだとも思った。思いつかなかった。

自然に人類は勝てない。そう感じると共に、畏敬も感じることができた自分を、慰めた。

 

続く