西日本ぶらり旅4(最終回)フレッシュレモンになりたい耕三寺
みなさんこんばんわー。
こんばんわもそうなんですけど「こんにちは」より「こんにちわ」の方が好きなんですよね。なぜかはわからないですけど、より牧歌的というか、「わ」の方が親しみやすいような気がするんですよね。だからこんばんわです。こんばんわー。
たまにうつな感じで街を歩いていると通りすがりの可愛い可愛い女子小学生たちに「こんにちわ!!」って言われるんですよね。
「あ、今のは”こんにちは”じゃなくて”こんにちわ”だ!!」とか思って、挨拶返すの遅くなって「こここ、こんにちはぁ〜」とかになってしまって「ああ、最後がはぁになってしまった。こんにちわと言えなかった。とか。。
ごめんなさい。旅の話でしたね…
それでですね、早速船に乗り込んで「生口島」に向かったわけなのです。
目的は・・・フレッシュレモンになること!
フレッシュレモンになりたいの〜!
元AKB48、現NMB48の市川美織ちゃん!この時期彼女にすごくハマっていたんです。彼女の目標は「フレッシュレモンになること」!!そしてこの生口島は、「レモン」が有名なところなのです。だから「ぼぼ僕もフレッシュレモンになりたいな」と思って行きました!
この時はまだ、市川美織ちゃんはAKBの研究生で、まだまだマイナーな存在でした。
しかし、しかし深夜番組「有吉AKB共和国」において自己紹介で「フレッシュレモンになりたいのー」という驚愕の能天基地の外系のパフォーマンスを繰り出し、有吉弘行と小嶋陽菜の2人に絶賛されて、マイナーな間で「プチブレイク」したのです。
その後、この旅のかなり後、正規メンバーに昇格して、所属事務所はなんとあの尾木プロ!AKBだと、まゆゆ、こじはる(フレッシュレモン信者)、たかみな、峯岸ブなみさんなどが所属している大手です!
そしてなんと「広島県レモン大使」に就任したのです!
でも、その後は迷走して、バラエティに出ても有吉に贔屓されたりもしたのに「フレッシュレモンキャラはやめた」とか言い出したと思ったらまた「やっぱりわたしはフレッシュレモンになりたい」とか、元祖フレッシュレモン的こりん星小倉優子りんに「美織ちゃんのことが心配なの」とか言われてるしまつ!
まあそんな感じの子です。今でもファンですが、もう正直さめています。
みなさんももう呆れてもの言えないと思いますので、次に行きますね。
それですね、この日の正常な目的地(異常だという自覚はあるのです)は、「耕三寺」です!
ここは、「耕三寺耕三」という嘘みたいな名前のひと、金持ちの人が建てた寺です!
ちなみに「耕三寺」は改名したとかwikipediaにあって本当は「金本」らしいです。
苗字変えるなんて、できるのかな?それも「耕三寺」なんて苗字いないと思うし。まあ芸名ですね。ピーターみたいな感じですよね。ちょっと違うか…芸名みたいな苗字だとやはりAV…やめておきますね。
ここにはお寺などの仏閣施設、そして金の力にものを言わせて集めた美術品などがありました。
お金の力はすごいですね。でも地元への貢献もあったようですよ。観光客を呼ぶためだとか。僕は貢献したんですね。お金もちに!
まあ今回の目的はこれです!寺にあるなぞの洞窟です!
「なぞの洞窟好き」がいつから始まったのかはわからないです。ここが「なぞの洞窟のめざめ」だったのかもしれないです。
この後に、松山の「石出寺」の洞窟、台湾の「佛光山」
ミャンマーの「ピンダヤ洞窟」
に行きました。洞窟好きとかいって、たったのこれだけで恥ずかしいですね。「ライト洞窟好き」と自称します。ちなみにミャンマーの「ピンダヤ洞窟」はわざわざ車は日本人経営の現地の代理店に車と運転手さまを発注して、空港から洞窟まで行ったのですが、一番感動したのは、その道程での車窓です。全く手の入っていない空間が、バーンと広がっていて…あれは素晴らしかった。牛車とか民族衣装着た人が引いてあるいていたり。対向車は牛車!もう開拓されているのかもしれませんが、たぶんほんとうに何もなさすぎて、変わっていないと思います。
ごめんなさい。また話がぶれました。
入り口では恒例?のスタンプ押し場がありましたが、島田洋七が練習台になっていました。仏教は深いものです
「仏教洞窟」の共通点として「地獄」というものがあります。ありとあらゆる地獄がそこで表現されているのです。信じなければこのようになるということ。ほんとうにありとあらゆる…ここも凄かったと思いますが、台湾の佛光山も凄かった記憶です。
しかし、やはり「自分はなんでこんなものを延々と見せつけられるんだろう」という気持ちは残ったまま。それでも洞窟は続くのです。暗闇がずっと続く。ほんとうに地獄のようです。地獄に落とされてしまった。ああどうしたら。
これは「等活地獄」なのでしょうか。それとも「阿鼻叫喚地獄」なのでしょうか
まさか「大叫喚地獄」なのでしょうか。Googleの変換だとこの〇〇地獄が打ったままそのまま出てきて、なんだかこわいです。大焦熱地獄 これもだいしょうね までで打てば変換にでてくるのです。なぜなんでしょう。有名な言葉しか出てこないはずなのに。もしかして、世間の常識なのでしょうか。黒縄地獄叫喚地獄阿鼻地獄ああこれも全部すぐに出てきます!仏教は深いです。深すぎる。
「フレッシュレモンになるために生口島に来たのに」なんてこの時は思いませんでした。写真を撮っているのがその証拠でしょう。何を考えてこの写真を撮っていたのか、わかりません。某SNSのミクソに挙げるためでしょうか。この時はもう関係ないさーでしたが。「さわやかトラウマ日記」はとうに始めていましたが、旅行記をそこに載せたのはミャンマー旅行記が始めてでした。それがうざいかなと思って、記事は残したまま、そのまま綺麗に転載して始まったのが、この旅日記ブログです。ああ、ごめんなさい。また話がそれました。
このような地獄はなんというのだろうか。輪廻地獄、それは変換では出ませんでした。
出口が近づいたことがわかります。救いが見つかったのです。垂らされた蜘蛛の糸を見つけて、僕は登っていきました。そして下を見ると、餓鬼どもがこちらに来ようとしています。足に触れたその時に僕もまるで餓鬼のきゃっつらのように、足を振り乱して奴らを蹴落としました。地獄の池の中に。
気がつくと僕は大理石に囲まれていた。ここはどこなんだろう。なぜこんなに大理石があるんだろうか。これは大理石ではないのではないか。だいいちここはこんな眺めなのだから。
これまでの旅行で見たどの景色よりも美しい空!美しい海!そして美しいしまなみ!
ああ、これは本当なんだ。あれ、大理石達も本物なんだ。
(※本物です 未来心の丘 - 瀬戸田 耕三寺博物館)
僕はフレッシュレモンにはなれない。そう感じた。大理石のあるcafeには「フレッシュレモン・ジュース」があるのだろうか。なかったらいい。もしあったら「本物のフレッシュレモン」になってしまうだろう。
でも、やめたんだ。僕は島から離れた。
こんな感じで、この後は岡山の倉敷に向かいました!そこでよくわかんないホテルに1泊して、翌日の朝は倉敷をぶらりしたりしました。
倉敷にはものすごく小さい時に来た記憶がありました。おそらく小学校3年以下の時です。神戸には実は会った覚えはないけれども親戚がいたこともあって、そのついでに行った記憶です。
なぜそういうこと、時期がわかるのか。それは小学校3年から愛知県名古屋市から長野県山の上の村家の窓から雲海が見えるような絶壁の所に引っ越したからです。家は宿泊業経営となりました。それは、学校が休みのときに家が忙しくなるということ。つまり、休みに家族でどこかへでかける、ということがなくなったということです。
社会人になり、やっとお金ができてまずやったことが旅行だった。国内、そして海外にも。なんども行って、それが生きがいにもなった。
そうなってしまったのは、そのような環境が原因だったのかもしれません。
混乱気味になったこの旅行記ですが、これは書き飛ばしているのではなく、「なんかだるくなった」時に止めて、また後で書き加えているからかもしれません。
僕の旅行記はまだまだ続きます。過去のです。いまのところは過去のです。
当面行けそうにないけれども、いつかいきます。
そして、またここに沢山沢山、思ったこと、見たこと、どうやって行ったのか、どのように感じたかを、書くのです。絶対に。
というわけです。
今後ともよろしくお願いします!
ー西日本ぶらり旅 おわりー