さわやかトラウマ一人旅日記

音楽が好きな30代男がぼっちを極めるため、世界や国内をヤケクソ気味に一人旅をしたその記録です!

千葉勝浦週末旅行 その2 海と僕との会話

ゲストハウス2日目は、電車の音で目覚めた。

事前に知ってはいたけど、ゲストハウスのすぐ横に外房線の線路があり、始まった電車の音が間近に聴こえてくる。踏切もすぐ近くにある。懐かしい音、ずっとある音だけど、このような音が久しぶりに、しかも目覚めの音になるなんて。新鮮だった。

旅での目覚めの音で、印象深いものは、イスタンブールでの目覚めの音、それはおそらくコーランだと思しき音だった。窓からの風景は狭くて外は見えなかったけれども、朝食会場はホテルの上の方にあり、そこから見える風景は、コーランにふさわしいイスラムの風景だった。朝もやにあのような建物が霞んで見えた。旅行の朝というものは、ほんとうに素晴らしいものだと思う。

外に出ようと、玄関に出てみた。ご主人が起きている音はまだ聴こえてこなかったから、まだドアは開いていないのかなと思ったら、ドアは開いていて、早速外に出てみた。

昨日はよる遅くの到着だったから、外の風景は全く見えなかった。

この後に、何度もここを通ったのだけど、その都度に「帰ってきた」と思えるような、入り口だった。この松の下を通ると、松の葉がチクチク刺さってしまい、ちょっと痛いけれども、それも愉しいこと。決して切ったりしないし、文句を言う人もいないのだろう。

すぐに近くにあるこの踏切を渡ると、すぐそこに海があった。すぐそこに海、なんて羨ましいんだろう。僕がどれだけ海が恋しいのか、海はわかってくれないんだろうな、なんて考えながら、吸い込まれるように僕は海岸に向かった。

 

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天気はよくなかったけれども、この雲天においても水の青さがよくわかる。実はこんなに美しい海を近くで見たことはなかったのかもしれない。きたない湘南の海か、そこそこきれいだけど、青さのない瀬戸内海や、異様に一部だけが透明だった、神聖な厳島の海か、それくらいだったかもしれない。

オフシーズンだからか、早朝だからか、人は全くいなかった。風は優しかったよう、と記憶をしている。海だ。海に来れたんだ。東京からたったの2時間で、これだけ美しい海があったなんて。

この両端の2つの尖端に囲まれた岩礁には、この写真ではよく見えないけど、小さな鳥居が建っていた。ちょうどセンターの位置にこれがある。素晴らしい眺めだ!僕はずっとこれを見ていた。すべてを忘れるように。 

 

ここで海を前にして、やりたかったことをやってみた。波を見つめ、その音をただ聴くということ。

Instagram post by 世界のmaemuki • Oct 22, 2018 at 1:11pm UTC

波の音には、3つの階層があるということ。

一番上は、水が波となり、水同士で動く音。

一番下は、砂と水が合わさって動く音

真ん中は、水が動く音。

それが自分が見える範囲だと、3つの動きがそれぞれに波となり岸に押し寄せ消えていった。消えるタイミングは決してかさらない。どういう仕組なんだろう。自分は海のこと、海の仕組みをよく知らない。潮の満ち引きのこともよくわかっていない。月が関係するとか、ロマンチックなものがあったような気がするけど。

ずっと、ずっと聞いていられた。雨ではなくてよかった。ここに雨の音が加わったら、どのようなものになるのか、聞いてみたい気もする。

 

ここで、もう一つやりたかったこと。海を見ながら、音楽を聴くこと。イヤフォンとiPhoneを持ってきた。聴く曲はもう決めていた。


交響詩《海》(ドビュッシー)

ドビュッシー交響詩「海」この間、NHK交響楽団定期演奏会で聞いた曲。

「海の夜明けから真昼まで」「波の戯れ」「風と海との対話」という3つの楽章がある。この曲は単に「海を描写した曲」に僕には聴こえない。ドビュッシーの父親は漁師だった。そして彼もそれを継ぐつもりであったという。しかし、それを選ばなかった。彼にとって、海とは特別なものだったのだろう。それが音から伝わってくる。

海というもの、生命の根源であり、命をつなぐ重要なもの。そして広大である、陸地よりも。いつまでも続く、風景と波、しかし、それは時として牙となって襲いかかってくる。そこにいる限り、いつも死がつきまとう。

そんなことを思いながら、ずっと海を見ていた。最初から最後まで。おおよそ24分程度の曲。イヤフォンだったから、音を聴こえなかった、波の音も、水の音も、そして風の音も。この曲の3楽章は「風と海の対話」であるということで、風の音は聞けたような気がする。

 

この時に限らず、僕はできるだけ、海に行くようにした。雨が降った時もあって行かなかった時もあったけれども、部屋から少しだけ、海を見ることもできた。

そして、なぜ自分がこんなにも海が恋しいのかは、やはりわからなかった。そういうものだから、また来たいのかもしれない。

 

続く

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