おじさんぼっちでローマの休日13 さようならヴェネツィア私の国
私は北島マヤ
ヴェネツィア…私の国…
とつぜんブツブツ呟きはじめた。そう北島マヤを意識して・・・
ヴェネツィアを自分の人生で初めて認識したのは、小学生の時に読んだ漫画「ガラスの仮面」の中で主人公北島マヤが演じた「女海賊ビアンカ」だった。ビアンカはヴェネツィアの出身で、色々あって女海賊になってしまう。策略の上、母国のヴェネツィアを去るシーン、ビアンカはゴンドラに乗って街を去る「さようならヴェネツィア…私の国」
そしてビアンカは跳び箱の一番上をひっくり返してその上に乗る。「ギーコ」「ギーコ」ビアンカを演じる北島マヤの口から出る。芸能界を失脚した北島マヤにはお金が無いため、「女海賊ビアンカ」は一人芝居で、体育倉庫にて体育の道具を使って演じていたのだ!「ギーコ」「ギーコ」好奇心だけでやってきた客が笑い出す。「何よ!あれ、まさかゴンドラのつもり?」「ギャハハハ何これ?」「ギーコ」「ギーコ」
しかし、北島マヤの迫真の演技に観客は「あれは・・・ゴンドラだわ!ゴンドラなんだわ!」「あの娘!跳び箱じゃないわ!ゴンドラに乗っているのよ!」とかありえない事を言い出す。そのうち「ここは・・・ヴェネツィアなんだわ。。。」「ここ、体育倉庫よね?」とか言い出す始末。そう・・ここはヴェネツィア・・・
「ギーコ」「ギーコ」私は北島マヤ…「ギーコ」「ゴンディエーレゴンディエーレ」「……。」
橋のたもとで空想に耽っていただが、ゴンディエーレゴンディエーレ!と叫ぶ男に邪魔された。彼はゴンドラの運転手でシーズンオフでヒマなのかみんなに声をかけている。
ゴンドラに乗ってもいいけど、だいたい80ユーロらしい。往復日帰りの交通費だけでもっと使っちゃったので、ゴンドラ代を聞く勇気もない。僕は去った。
サンマルコ広場に着いた。
テレビや写真で見たような風景を実際に見るとやっぱり嬉しい。
ちなみに冬のヴェネツィアといえば、天候不良でこの水かさが増して、この広場も水びたしになる事があるらしい。しかしこの日は大丈夫だった。ほっとしたようなつまらないような。
ちなみにこの辺りのカフェは高くてまずいらしい。もっと滞在できたら物見遊山でその高さまずさを楽しめたのだが、なんせ日帰りだから。
サンマルコ広場から更に海の方へ歩くと大きい海原に出る。そこは本当に絶景だった。
ああ美しい美しいヴェネツィア君は美しい
もはや何の抵抗もなかった。この街は美しい。世界中のどこよりも。
雲ですら美しい。雲がなくてもっと夕陽があったらそれはそれで更に美しいのかもしれないが、僕がこの場所でもし絵をかいたら同じように雲を描くだろうと思った。
なんちゃってwww
ドゥカーレ宮殿
ちゃんと観光もしました。「ドゥカーレ宮殿」が目玉ということで、入りました。ちなみにやはりオフシーズンらしく、全然待たずに入れました。
美しい美しいそして工事中の宮殿中。ちなみにここより中は撮影禁止でした。
そんなぁー18ユーロも払ったのに!入場料高い!高すぎ!
でもまあ中身はその価値がありました。「ドゥカーレ宮殿」とは固有名詞ではなく「偉い人の宮殿」みたいな意味で、ここは役所的なところだったとのこと。
なんでも9世紀くらいに建てられて15世紀くらいには今の形になったらしい。
豪華絢爛、絢爛豪華な当時の貴族のくらしが垣間見えるようで興味深かった。
特にとにかく広い大広間で、天井や壁一面に装飾が施された美しい空間…
(写真は公式サイトから ※実際はもうちょっと暗くて雰囲気あった)
部屋に入る前、視界に入った時から惹きこまれて、吸い込まれてしまうようだった。「も、もしかしてこの部屋で仮面舞踏会とかやってたんじゃ・・・それって完全にヴィジュアル系じゃね・・・?マリスミゼルの世界じゃね?」とドキドキしたんだけどここは会議室だったらしい。なーんだ。
ここでも日本人ツアーの方たちがいて、日本人じゃない振りして解説を聴いたりしていた。しかし、今度は?韓国人だとは思われず「こんにちは」とか言われてしまった。ばれたかー。
経路通り歩いていると、突然土壁のみすぼらしい空間に出る。ここは牢獄!!!
牢獄だからなのか何なのか床から冷気が溢れでてぶつかってくるような気がする。寒い!とても寒い!こんなところで囚人達は明日に怯えて暮らしていたんだ。自分だったら狂い死にするか、自殺してしまうだろう。
なんだか亡者達の呻き声が聞こえてくるようだった。「わっびっくりした」という声も聴こえた。幻聴かと思ったが、先ほどの日本人ツアーの人たちが僕の姿にびっくりした声だった「エヘヘエヘヘコンニチハ」と愛想よくその場を去った。
先ほどの絢爛さとの対比は、本当の歴史の重みを感じさせてくれた。ここに着てよかったと思う。
ドゥカーレ宮殿と牢獄を繋ぐ「嘆きの橋」
脱獄した僕は、目の前にある鐘楼に登ることにした。エレベータで最上部まで登る。こちらもオフシーズンだからか並ばずに乗れた。屋上も人が少なかった。
冬の北部イタリアの、吹きっ晒しの鐘楼…といえば、寒い!
想像通り寒い!「正直寒い、景色より正直もう降りたい」というのが写真にあらわれてますね。いや、綺麗ですけど!!!
この後はすぐ横の「サンマルコ教会」でモザイク画などを凝視したりしていた。
あっという間に夕方になっていた。
あ、夕方だ どうしようかななんて思っていたらあっという間に暗くなった。
どこか海沿いで夕焼けを見ようと思っていたのだが、細い道を縫って歩いているうちにあれよあれよと暗くなった。
夜のヴェネツィアも素敵ですヨなんて書きたいのだが、夜のヴェネツィアは暗かった。本当に暗かった。
来てわかったヴェネツィアの真実
この街に着いてから抱いていたある事が現実になって自分の前にやってきた。
「この街には…人が住んでない!」
日曜日だから、店がやっていないから、だからだからだと思っていたが、この街には人の気配が全くしなかった。もちろん観光客はいるのだが、生活をしている人の気配が全くしなかった。建物の窓はどこも閉じられていて、歩く人は観光客ばかりだった。かろうじてスーパーは1件見かけたが、やっている店は観光客向けの店ばっかりだった。
自分の中のヴェネツィアは、狭い道に人々が行きかって、水路は絶え間なく地元の人の船が行きかう、まさに「水の都」というところだった。ヴェネツィア展で見たような貴族の姿をさすがに現代には期待していなかったけれど、その頃から脈打つ活気ある水の都の姿が見られると勝手に思っていた。
その瞬間、自分の顔にシーツがかかった。「あ、ごめんなさい!」建物に干してあったシーツが風で飛んで自分にかかったらしい。上から女が降りてくる「あーらごめんなさいね。あたしの弟のヤンデルにねシーツ干すのを頼んだが間違いだったわ。あの子ったらいつも止め方が甘いの。でもあなたのおかげで水路に落ちるのは間逃れたわ。本当にありがとう。あら?あなたはジャポネーゼね。ねえよかったらトマトのラヴィオリを食べていかない?私の母のラヴィオリはイタリアで1番美味しいんだから」
…みたいな事ももちろんなかった。
駅に向かって歩くが、暗さはどんどん増していった。やはりこの街は死んでいる!と思った。人の気配は無いが、怖くはない。なぜなら、人の気配が全くしないからだ。
どの建物も灯りがついていない。ついているところも、もしかしたらホテルかもしれない。
撮影が終わって用済みになった映画のセットのような街だと思った。今は観光客達の個人的な人生に映る映画に使われているのだと思った。
複雑な気分だった。パリ症候群ならぬ、ヴェネツィア症候群だと思った。自分の中に描いていたヴェネツィアはここにはなかった。この時iPhoneで調べたのだが、やはり建物の老朽化、家賃の高騰、不便な暮らしに耐えかねてヴェネツィア本島からは人がどんどん減っているらしい。それでも未だに人口は数万人はいるらしい。
本島に数万人も住んでいるんだろうかと思う。暗い中、歩いている人は全て観光客だった。
いかなる事情があるにしろ、人が住んでいない街は街ではない。今はよくてもその内に全て無くなってしまうだろう。それとも歪な形ながら街としてではなく残っていくのだろうか。
最後の橋、駅に戻る橋を渡って振り返った時、街がガラガラと崩れだす幻影が見えた。
気を取り直して
BARに入って、ティラミスとなんかシュークリームっぽいものとカプチーノを食べた。
ヴェネツィア駅の横の通りは観光客向けのおみやげ屋が沢山あった。
ここで母へのおみやげでそんなに高くないけどオシャレな革製バックを売る店があったので、意を決して中に入った。「ボナセーラ」(イタリア語でこんばんわ)と挨拶しようとして間違えて「ボンソワール」(フランス語でこんばんわ)と言ってしまった!
ヤバイ!と思ったが女性の店員さんも「ボンソワール」と言ってしまった!やばい
もう買うものは決めていたのでなんとかなったが、優秀な店員さんらしくフランス語もいけるようで「ここにカードを差し込んで暗証番号を押してください」とかフランス語で言ってくる。カードに「楽天」って書いてあるのに>< 仕方ないので最後は「メルシー オヴァー グラッツェ」と言って去った。カードの明細見て「変な日本人!」と思っただろう。恥ずかしい><
というわけでほろ苦いヴェネツィアから僕は出発した。
この旅から1ヶ月経って、もう自分の中のヴェネツィアは崩壊したので2度といかないと思っていたが、人いないんなら妄想しやすくていいんじゃないの?また行こう!!なんて今は思い直している。