一番の贅沢をした、一泊だけの一人旅の思い出「リッツ・カールトン大阪に泊まった話」第1話「あいりん地区」
みなさんこんにちは。
更新していなくてごめんなさい!
やはりまだ旅に行けそうない、でも観光地に住んでいるという状況です><
最近哀れなので、過去最高の贅沢をした体験を披露して、自分を慰めたいので更新します。
そう、自慢。自慢です。
それもかなり前のこと。基本的に最後に海外旅行にいったのはミャンマーなので、もうかなり前です。
それよりも前のことです。
1、埼玉からの脱出
僕は、あるラッキーなことがありました。それは、一般的に見ればそれほど大したものではないだったものかもしれません。しかし、それまでの生活レベルからすると、信じられないような「お金」が入ってきたのです。
どれくらいの額かは忘れましたが、それほど大したお金ではありません。しかしそれまでの貧困生活から抜け出せる、具体的にいえば「埼玉から都内に引っ越せた」レベルのもの、でした。長く長く埼玉から都内まで、東武東上線で通勤した辛い日々を、終わらせることができたのも、そのお金のおかげだったのです。
そして、引っ越しをして、テレビ、ベッド、電子レンジ、冷蔵庫などを買い揃えて、西早稲田のマンションの1Kの部屋、キレイな部屋、でもそんなに高くない部屋を契約して全部終わっても、まだまだお金が余っていました。それも今考えるとそんなに多くありません。スケールが小さいです。
2、そうだ贅沢をしよう
そして「そうだ、贅沢をしよう」と思ってしまったのです。東京に引越しというだけでも、十分な贅沢といえたのに。
さすがに自制心はあったので「1泊だけ。1泊だけで、泊まってみたいホテルに泊まろう。あそこに泊まってみよう。今までにしたことがないことをしてみよう」と思ったのです。
そして、それは実行されました。
楽天トラベルか、どこかは忘れましたが、大阪。大阪のあるホテルの予約をしてしまいました。大阪は好きで、何度か行っていましたが、一人で行くのは初めてだったかもしれません。
泊まりたいホテル、今まで泊まるなんて考えられなかったホテル。そこは
「リッツ・カールトン大阪」です。
正直「ホテル・マニア」の自分がここから始まってしまって、それからほんの少しの浪費を覚えてしまった、そして海外旅行にもいって、バンコクなどでいいホテルに泊まることもしってしまった、「間違いの始まり」がここでした。
当時、リッツ・カールトンは大阪だけでした。なぜそこまでここに泊まりたかったのか。会社の社長がリッツカールトンについての本を読んでそれが面白かったという話を聴いたのがきっかけだったと思いますが、やはり決めては「贅沢したい」という気持ちだったからかもしれません。
そしてリッツ・カールトンには「クラブルーム」というカテゴリがあり、そこを予約すれば「クラブルーム」に入れて、特別なサービスがもろもろ受けることができる、ということも知りませんでした。知りませんでしたが、普通の部屋との差額は、もちろんありましたが、クラブルームを予約してしまいました。といっても、スイートとかではなく、ふつうのスーペリアルームでした。
ちなみに一人なので、やはり2人分の料金を払った覚えがあります。
海外では部屋単位での予約なので、1人で料金が増えるということはなかった気がします。ツアーだと別ですが。どうだったかな?バンコクの高いホテルは違ったかも。忘れてしまった。東京は一人で「シングルルーム」以外は高くなった、そしてシングルルームが無いところもあります。
しかし、どうせなら、知らなかったことを知って、そして体験したい。
そしてホテルにはプールがあり、外にジャグジーがある、ということも知ってしまいました。当時、ジムにかよっていた記憶があるので、水着はありました。ゴーグルもありました。よし、プールもいっちゃおう。ジムもあったかとは思いますが、行きませんでした。靴が荷物になるかなと思って。
この時も安っぽいカートで行きました。今考えるとその安っぽい、っていうか安いカートで色んなところに行きました。台湾、韓国、バンコク、そしてミャンマー、イタリアそして都内の身分不相応なホテルも、それ一つ、機内持ち込みできるサイズだったので、それで済ませてました。今考えると、ちょっと恥ずかしいです。そんなホテルに泊まるお金があればもう少しいい物を買えばよかったと。
「大阪の旅」ですが目的はホテルだけではありませんでした。
一つは、大阪に在住している友達に会うこと。
もうひとつは、ジャケットを買うこと。
もうひとつは・・大阪にしかない場所、それは「あいりん地区と飛田新地」を見ることでした。
3、西成区あいりん地区
大阪への旅は、以前バンドで友達と訪れた時です。この後にその友達が大阪で結婚式を
上げたのですが、バンドで行ったときも、大阪の結婚式の時も、車で行きました。
この時はもちろん、新幹線で行きました。「新幹線で大阪に行く」なんて、凄く贅沢なことだったから、勇気がいりました。そして朝早くなので、席も空いてるかなと思い、予約などはせず指定席を取って、新幹線に乗り込みました。「せっかくだから」と思い、新大久保から新宿まで、タクシーで行った覚えがあります。その先山手線にのるのですから、あんまり意味がなかったと思います。
新幹線の中で「あいりん地区」を調べながら、いや、ずっとあいりん地区には興味があって調べていて、まだ行ったことないのに、なんとなく土地勘はありました。地図を見たり、ところどころのポイント、西成警察署、三角公園、そして職業安定所。「どこどこがやばい」とかそんな情報ばかりです。僕が行っていいのだろうか。なるべく貧しい格好をしていこうと思っていたのですが、この後にいくところを考えて、「割りと普通の服」を選んで着ていったような気がします。
大阪に降り立ちました。梅田駅はやはり迷路だった記憶があります。
そして電車にのって、「なんば」に向かいました。
もっと写真があるのですが、普通の大阪の風景なので、これだけにします。
一冊千円の「宇宙人の本買うて」は買いませんでした。写真を見て、「こんなのもあったな」と思い出したのですが、やはり有名な方のようでした
そして「西成暴動」で破壊された阪堺電車南霞町駅です。今は「新今宮駅」に改称されたようです。ここの後にトンネルを通ったのですが、やはり悪臭がしました。「やはり」というのはここの情報をネットで調べまくったからです。本なども読みました。本といっても、「別冊宝島」の貧困特集みたいなものでした。興味があったのです。
なぜ当時、興味があった、今となってはよくわかりません。
西成の街についても沢山しらべて「やばいところがある」「やばい関係の人がたくさんいる」「どこそこで立ち止まったらやばい」みたいな。またはランドマークとして、西成警察署、三角公園などがあるとのことでした。「スーパー玉出」が見たかったのですが、さがす余裕がありませんでした。やはりドキドキします。その時は新大久保に住んでいたので、治安は良くないところでしたが、長野、埼玉上がりなので都会はまだ緊張していたのです。
はじめてのあいりん地区、そして商店街。平日ということもあり、ひっそりとしている印象でした。街角で寝ている人もいなくて、静かな街だという印象でした。
「なんでえこんなとこ、ほっつきあるいて」みたいな事を通りすがりの人に言われたことを思い出しました。この日は「なるべく普通の格好」をしたつもりだったのに、やはり部外者に思われたようです。仕方ないです。
別にそれ以外にも、特にいやな思いをした覚えはありませんでした。時間帯のせいだと思います。
そして、「あいりん労働公共職業安定所」に行きました。ここも有名なスポットです。
いわゆる「ハローワーク」の機能だけではなく、「日雇い労働」をしたい人と、雇う業者の人の集まる場所でもあります。この日も行列が出来ていました。
さすがにその元に行く勇気がなく、道路から写真を撮っただけでした。
この時は「ハローワーク」には川越のくそみたいな遠いところにあるものに、一度行っただけでした。新宿に引っ越して「職安通り」というのがあって、そこにそんな感じの建物があったので「新宿はあそこなんだな」と思っていたのですが、実際は新宿駅前のエルタワーでした。職安通りの「ハローワーク」は外国人向け、または教育の場所のようです。そういうのがわかったということは、この後の人生で利用したということです。しかしハローワークでは仕事を見つけることができませんでした。が、お金はもらえました><なので通っていたのです。
すごい落ちぶれぶりですが、落ちぶれていく自分を自覚すると、いえの周りにいる「ホームレス」の人が他人とは思えなくなってきたのです。空き缶をひたすら集めて、カゴに山盛りにして、滑車に入れて歩く、公園にいる人達。新大久保駅前で「ビッグイシュー」を大きな声を出して売る人。彼らに何かをしてあげることは僕はできませんでした。それが本当にいいことなのか、わからなかったから。
あ、すみません!!話がそれました><
この後はこれまた有名な「飛田新地」に行きました。簡単にいうと、「料理店」がたくさんあるところです。しかし提供されるのは「料理」ではありません。その料理店がたくさんある通りを歩きました。ほんとうにドキドキします。ただし平日の昼間だったので、閑散としていましたが、営業中の「料理店」もありました。
(※参考写真です こんな感じでした)
「おにいちゃん!どうぞ!見てって!可愛い子いるよ」
とおばちゃんが声をかけてきます。
ふと見ると、大きく開いた窓的なところに、ピンクのどきつい照明に照らされた女の人が座っています。和服を着ていました。
僕は無言で去りました。ただの見物のつもりでしたし、満足したので「次に行こう」と思いました。
この後からささやかな贅沢の話が始まります。
また長くなってしまったので分けますね。
贅沢自慢なのに、西成に話になったどうもすみません><
【タイの思い出編1】最終回〜タイ・バンコクについて
みなさんすみません。更新してなくて
本家「さわやかトラウマ日記」
は絶賛更新中ですが、こちらは放置していました><
何よりも、当面旅行に行けそうにないので・・
なんか悲しくなってくるんですよね。遠い出来事・・・
でも忘れられなくて、過去の写真を見返したり、それをInstagramで投稿したり
ローマのトラステヴェレっいう地区で適当に入った教会だよこんなのが適当に入ったらあるなんて。さすがローマ私はイタリア人 #ローマ #trastevere #roma
ミャンマーのインレー湖ってとこだよ 湖上のホテルに泊まったんだよすごく綺麗だった 過去は美しいね#ミャンマー #インレー湖
こんな感じでInstagramに投稿したりしています><
タグには「#現実逃避」とつけてます。
海外の写真もいいですが、やはり北海道、富良野と美瑛の写真が、心に染みます。ほんとうに楽しかったから。
美瑛は本当に美しいですこの写真はiPhoneで撮ったのですそれでこれですから。カメラがあればどんなによかったか#現実逃避 #美瑛
実は、僕、パスポートを失くしてしまったんです。
ミャンマーのビザのついたパスポート。
これで失くしたのは2回めです。
でも再発行がまだできていません。
「海外に行くな」という、なにかの思し召しかもしれません。
が!
僕は働いて、また行けるように、がんばります!
北海道はパスポートがなくても行けます。だから、現実的に考えられて救いがあります。
あ、すみません「初めてのバンコク」は今回で終わりです。
特に、あとは書くことがないです。
Gさんとは夜の街を遊びあるきましたよよヒヒヒヒヒヒー
それで、バンコクって本当に面白いところ、僕に合っている街だな。と短い滞在ですが、感じました。
それは、「みんなテキトー」なところです。
テキトーというか、つねにリラックス。無理してない。お店でヒマな時は、漫画読んだり、おかし食べたり、携帯電話いじったり。
日本では、たとえば個人商店でないかぎり、個人商店でも、つねに真面目つねにお客様のために尽くす。一生懸命にがんばる。例えアルバイトでも。
なーーんて疲れる国なんだろう日本って。そう気づいたのです。
僕は真面目すぎた。こんな自分でも。
やる事はやるけど、そんな肩肘はらなくてもいい。いいんです。
僕はその時、正社員で余裕があったからそんなことを考えられたかもしれません。でも、今は無職ですが、あんまり考えは変わっていません。
でも、それをさとられないようにする。それがクソ社会を生き抜く醍醐味!だと考えなければやってらんないです〜
しかし、正社員だったころはその会社とそのサービスが本当に好きだったから楽しかった。仕事内容は辛かったけど。
またいつかそういう会社に入れたらいいかな、と考えています!
あれ、タイの話でしたね
で、タイはこの後何回も行きました。2回めはまた人と2人旅で、これは写真が残っているので、また書きます。
それ以降は・・・全く無いです!写真が!あとラオスにも行ったのですがこれもあまり無いです。
あーどうしようかな
ひとまず、タイ・バンコクは良いところ。
また行きたいです。あれから色んな事変や、国王の崩御などがあり、街がいろいろ変わってしまった気がします。
このエラワン・プーム。バンコクの人たちに愛されている廟ですが、この前の暴動で焼かれてしまったとのこと。
前をバスで通りかかると、バスの中の人が手を合わせているのです。そして、通りがかる人たちも。
なんて素晴らしい。信仰心は無いのですが、他人が信仰をしているのを見ると、素晴らしいな、と思います。
ミャンマーのヤンゴンの「シュエダゴン・パゴタ」でもそういう事がありました。
日本は素晴らしい国だけど、ちょっと窮屈です。僕にとっては。
まあ、でも当面、たぶん一生日本にいるので、我慢します。
「日本人に生まれただけでもラッキーだよ」と他の国の人が言っていたらしいです。それは正直、海外に行って実感してしまったことです。
旅って面白い!
また行きたいです!!!!
引き続き、よろしくお願いいます!
【タイの思い出編】セレブアユタヤ編
すみません。更新が滞りました。
「初めて行ったタイ」の旅行記3回目です。
1回目は街の汚さに感動、2回めは激ウマ朝食と高級なアフタヌーンティーを堪能、夕食のタイ料理も激ウマ
という、自慢だらけの今となっては悲しい思い出です。
今回は「セレブアユタヤ編」とありますが、例によって自慢自慢自慢
なのですが、その自慢の証拠を残していません。
僕のこころの中には残っているのですが
まあ、別に「嘘だろ」みたいなレベルではないです。
しかし、僕にとっては「嘘だろ」というレベルでした。
アユタヤは有名な観光地で、古都から残された沢山の遺跡があります。
バンコクからも日帰りで行き帰りできる距離です。
今回は「初心者っぽい旅」をするのが目的なので、ここも予定に入れてました。
「アユタヤってどうやっていくのかな」と思って前日に同行のGさんに聞きました。
そうすると目がギラッっと輝きました。結構目が大きい人なんです。
「どう・・・行くと思う?」
「え、バスとか、電車とか?」
「ふふふ・・・」
怖くなったのであまりそれ以上は聞きませんでした。
翌朝、ホテルの出口を出ると、車が止まっていて運転手と思われる人が「ハローなんとか」とか話しかけてきます。
「え、もしかして」
「そう、アユタヤまでホテルで車をチャーターしちゃったよアハハ」
乗る前に、チラッと見たのですが乗ってる見ると様子が違います
「これって・・・ベンツですか?」
「そうそうメルセデス・ベンツ。何とか型」
生まれてはじめてのベンツです。
なんだか夢みたい。しかも外はタイ。かなりギャップがあります。
アユタヤは暑くて、そのためにチャーターしたとのこと。
その変の会社に頼んでもいいけど、ホテルのだったら荷物置いて出て歩いても信用できるから、こっちのほうが良いとのことでした。
「そうか」
と思ったものの「あの・・・お費用は」
「大丈夫だよ。チップだけ払って」
とのこと。どのくらい払っていいのか、わからなくて、もしかしたらGさんが払ってくれたかもしれません
アユタヤは暑くて暑くて大変でした。
しかし「日本以外の国の遺跡」を見るのは初めてだったので、もちろん新鮮で、興奮しました。
有名な気にうまった大仏さまです。
大仏様より頭を下にして、写真を取らなければいけません。右の看板はその事がかいてあります。タイ語、英語でした。日本語もあったかも。
大仏さまとの写真が残ってないということは、面倒くさいから取らなかったのかも。
祈る自分
首の無い仏像が沢山ありました。
王宮的なところです。カメラはトイカメラの「Vivitar Ultra Wide & Slim」でとりました。きれいですよね。
セレブなのでセレブっぽい写真です。
一人旅じゃないと自分の写真があっていいですよね。
別に観光地だと他に人がいるから撮ってもらえばいいんですけど
気が弱いんです。
こんな感じですかね。
この旅で一番感動したのは、暑い観光から帰って来てベンツ様に乗り込んだ時。
「あついしぬ」と二人でいっていたら運転手さんが小さい冷蔵庫的なところから水をさして出してくれました!
「さすがベンツ」と一瞬思いましたが、もの凄い冷たくて激ウマでした。
そして、アユタヤを離れ優雅にバンコクのフォー・シーズンズホテルに帰りました。
しかし、また再度アユタヤを尋ねることになりました!
その時は180度違うたびになりました。
そっちの方が楽しかったかも!
お楽しみにー
【タイの思い出編】朝、そしてタイのデパート、街、そしてタイ料理ディナーとアフティー
フォーシーズンズバンコクは2015年に「アナンタラバンコク」に変わりました。
知りませんでした!
ただ、建物はそのままで、サービス等特に不満な口コミはなさそうです。
そして、安くなってます。たぶん。
きっといいと今でもいいところだと思います。
朝食レポート
そして朝が来ました。
ホテルといえば、朝食です。
僕の実家はペンションだったので、朝食を出していました。
毎回食パンとオムレツ、サラダ、それにスープ。パンとコーヒーは食べ放題、飲み放題。僕は食パンを焼く係でした。混んでいる時は大変です。
焼いても焼いても追いつかない。2台のトースターは故障寸前。たまに焦がしたりしました。「もったいない」とあとで家族で食べました。ナイフで表面を削って焦げ目を落とします。
そんなしょぼい話を挟んだのは、この朝に食べた朝食がいかに素晴らしかったか
それを強調するためです。
つまり、「自慢」を効果的に見せるため、そうしたのです。
ああ、フォーシーズンズ・バンコクの朝食。
それはまるで夢の世界のようでした。
朝食がこんなに美味しいものだと、知りませんでした。
朝食なので、やり放題の豪華、絢爛なものではなく、あくまで「5つ星ホテル」としてのマナーが守られたものです。
ちょっと写真がイマイチですが、まるで屋外のテラスのような感じで非常に快適で優雅でエレガンスです。
ブレッドやクロワッサン、お菓子のパンなどはビュッフェです。どれもおいしそうです。
そしてコーヒー飲みながらニヤニヤして鼻息荒くしている、ボーイさんが来て何やら書くように紙とペンを渡してくれます。
僕が「???egg??」
と戸惑っているとGさんが説明してくれます。
「これはエッグステーションだよ。卵をどう料理するか、選んで注文できるやつ。これは、オムレツ、スクランブルエッグ、サニーサイド(目玉焼き)とかね。あとは野菜入れたりとかチーズいれたりとかできるみたい」
「ほえーこういうのってここだけですかね?」
「ここだけじゃないよ。東京でもあるんじゃない?まあ、安いところにはないけどね」
とのことでした。ヒーこういう世界があるんだ。
ちょっと「エッグステーション」らしきところに覗きに行ってみました。
シェフらしき人が華麗にオムレツをつくってます。目が合うとニコっと笑ってくれます。
そして来たのがこれです!トマトとチーズが入ってます。
なぜワッフルが乗っているのかちょっとよくわかりません。
もしかしたらリクエストの中にあったのかも。でもワッフル大好きーーー
オムレツは「あ・あああ」って感じでした。昨日のまくらの感じです。
開けてはいけない扉を開いたような感じです。
ていうか開いてしまいました。それはまたあとで。
そしてバフェ(洒落た発音)もまた取りにいきました。
これまた・・・みるからに美味しそうです。美味しかった記憶があります。
具体的にどのようにして美味しかったのか。よく覚えてないのですが
とりあえずヨーグルトは風味が豊かであり、ソーセージは香辛料と豚肉の香りが高く、肉汁にあふれ、まあとにかく美味しかったです。
そして後ろに映るフルーツ!タイはフルーツが美味しいところです。
スイカがこんなに美味しいなんて。
朝食の時の写真かわかりませんが、スイカジュースの写真です。すごいボリュームですね。スイカだけじゃなくて「何か」が入っていてそれが美味しかったです。カクテルなんかにしても良いかもしれません。
というわけで朝食レポートは終わりです。
このホテルは3泊しました。はーー夢のようでした。
街へ
そして街へ繰り出しました。フォーシーズンズバンコクは街の中心にあり、どこにもアクセスしやすい、BTS(モノレール的な乗り物です)の駅にも近く、すぐのところに高級デパートがあり、繁華街のシーロムは近いですが、交通機関はないので、タクシーで行くのがいいです。バンコクのタクシーは当たり外れが多いです。日本みたいな感じとは全然ちがう、と感じました。
イスに白いカバーが無い。汚い。運転手さんは普通の格好。日本みたいに綺麗な格好してません。その分安いです。それでいいんです。日本はなんでも頑張りすぎ。
デパート
サイアムパラゴンというデパートからずーっと違うデパートが続いている感じです。あ外は暑いですが中は寒いです。冷房がすごい。
バンコクは都会で世界的に人気の観光地です。現在でも観光で訪れた外国人の人数は日本を凌駕しています。
タイ人による日本観光も増えています。親日国なんですね!
「すごいジャパン」という日本旅行の番組がすごく人気らしいです。
https://www.youtube.com/watch?v=40rICRljVmA
現地に住む日本人が、日本のあまり知られてないところを紹介することで、放送後に普段外国人が来ないところにタイ人が殺到してるみたいです。面白いですよね。
そして、デパートに入るとやはり高級デパートはどこの国も一緒ですが、違うところがありました。
それは「従業員」です。
化粧品売り場で、女性を接客する女性・・・あれ?あれは・・
そうです。日本でいう「ニューハーフ」です。本当たくさんいるんですね。
「差別されない」というか「自然な存在」でした。
そしてタイ人の仕事に対してのやる気のなさ、いたるところで感じました。
一流デパートでも、暇だったら漫画や雑誌読んだり、ケータイいじったり。
結構リラックスしてます。
もちろん、真面目にやってる人もいます。
「あ〜こんなんでいいんだ」
って思いました。なんて僕は真面目だったんだ。
その時はわりとユルイ会社だったのですが、それでも肩肘張って、頑張っていた気がします。飲食店の時もサボりつつ、基本的に愛想よく振舞ってました。真面目でした。
僕もタイでゆるゆる暮らしたいなんて思うようになりました。
そしてディナーです。
ディナーはGさんも行ったことないけど美味しいらしい店とのことで行きました。
「ルンピニ公園」の近くにあるタイ料理のレストランです。
もしかしたらここだったかもしれません。
もうすこし雑然としてたかも・・
まあ閉店ということで><
では基本のトムヤムクン ドーン!!!
これがねーめちゃくちゃうまいんですよ!辛いんですけど。僕辛いの苦手なんですけどね!でも止まらないんです。美味しくて!
Gさんも「辛いのが苦いけどうまい。今まで食べたやつで一番うまい」と言ってました。
濃厚なんですよね。ココナッツミルク?スパイスのせいか。それでいてしつこくなくて、どんどん飲めます。
正直これ以降ここまで美味しいトムヤムクンを食べたことがないです。
日本のタイ料理店のトムヤムクンはなんかお湯みたいに感じます。何が違うんだろ?材料かなあ?
プーパッポンカリー!!!
蟹のカレーです。これは日本でも有名ですが、初めて食べました。
何でしょうこのうまさ。ただのカレーなのに。甘い?甘いですね。辛くもあるんですけど。「ソンブーン」という有名店に後日行きましたが、ここの方が美味しかったです。でも、やっぱり美味しかったです。日本でも挑戦しましたが「うーーーん?」となることが多かったです。何が違うのか・・・現地で食べてるからかもしれないですね。タイの魔法!
ソムタム
パパイヤのサラダです。これはイカがのってますね。
とにかく辛い!「からいからい」と言っていると
「砂糖を足そう」とGさんがテーブルにあった砂糖をぶちまけます。
これはタイでは普通のことらしいです。帰国して、タイ料理屋にいくと4つの調味料がテーブルに置いてあることに気づきました。さとう、ナンプラー、お酢的なもの、唐辛子。これは基本だそうです。そして何にでも砂糖を死ぬほど入れるのがタイ流だとか。
ディナーの写真はこれだけでした。あと、しめのカオパット(チャーハン)的なものを食べた覚えがあります。
これは「カピ」っていう蟹っぽい味噌の味のペーストがあってそれをもとに作ったものでした。なんか独特な味がするんです。はっきりいうと臭いんです。でも、おいしい。
僕、新大久保に住んでたのでタイの食材店が近くにあったんです。そこで「カピありますか」ってきいたら「カピこれね」って渡してくれました。
ネットで自分で調べて、カピのチャーハン作ってみたら、すごくくさい!量を間違えました。あとで味をみながら作ったら、うーん うまい!タイで食べたあの味です!
それ以来、その店によく通って、ナンプラーや、シーユーカオ(甘いソース)、タオチオ(大豆の何か)を買ったり作ったりしました!
ということで、ディナーは終わりで、次は高級ホテルといえば定番の「アフタヌーンティー」です
これでお値段・・・忘れました><もちろん日本よりは安いですよ
日本だとおくそ高いですからね。高級ホテルだと。リッツカールトン東京を今調べたら4500円とか。平日で。ヒーって感じです・・・。
お味はもちろん美味しかったです。Gさんがあまり食べなかったので残りを全部平らげました!一番記憶に残っているのが、上にのっているチョコレートのプティングです。
チョコレートって・・・本当に美味しいものは美味しいですよね。普通の板チョコも好きですけど、なんかこう…禁断の味ですよね。あんまり高級チョコ食べたことないんですけど。芸能界通じてのチョコマニア・楠田絵里子さんに憧れます。
ということで最後はプールの画像です
いろいろ初体験するものがあった旅でした。
それは「ホテルのプール」です。家族で旅・・・をした記憶はあまりありませんでした
(家がペンション)が、個人的にも「ホテルのプール」は行ったことありませんでした。ただし、名古屋でスイミングスクールに通ってたんで、泳げるんです。
ホテルのプール、「ふーん」と思ってたのですが、いろいろ舐めてました。
傘のついたソファ付きのチェアに座ると、ボーイさんがやってきて部屋番号を聞かれます。そしてバスタオルと小さなタオル、そしてミネラルウォーターを持ってきてくれます。
こんなの普通のことかもしれませんが、まだ世間知らずの若者(もう30でしたが)なので、びっくりです。
もっとビックリしたのが、Gさんが泳がなかったこと。「水はあんまり好きじゃない」と言ってました。泳げなかったのかな?突っ込めばよかったです。
もっとビックリしたのがGさんが超マッチョだったこと。そういえば街で「おーマッスル」とかタイ人に言われてました。
ということで今回は終わりです。
次回はアユタヤ遺跡などで、それで終わりです。
そして次もタイ男2人旅です。
ここまで読んでくれてありがとうございます!
【タイの思い出編】初タイ!そして衝撃の街、ホテル
前にお話ししたとおり、当面旅行には行けそうにありません。
なので、過去のことなどを中心に更新していきます。
実は海外で一番行ったことのあるのはタイです。ほとんどバンコクだけ。
サムイ島にはミャンマーの帰りに行きました。
初めて行ったドイツは「競合会社のキャンペーンに応募したら当たったから行った」という旅でした。当選した人たち、5組10人での「ツアー」でしたので、最初から最後まで、添乗員さんがついてくれました。
初めての海外で添乗員付きツアーだなんてラッキーでした。わからないことばかりでしたが、スムーズに旅行できました。
そして2回目の海外がタイです。これは航空券とホテル代と空港の送迎が含まれる一応「ツアー」ですが、基本的に自由行動です。オプショナルツアーというのもありますが、今回は申し込みませんでした。
なぜかタイかというと、誘われたのでなんとなく。です。
一緒に行った人は男性の友人です。
彼は旅の達人で、バンコクどころか世界各地を一人旅で巡っているとのことでした。
いろいろ写真も見せてもらいました。特にイランの遺跡の写真は感動しました。
実際、有名人ではありませんが、その業界では有名らしく、バリバリ稼いでるようでした。
「ねえ休みが取れそうだから、ちょっと海外旅行いかない?」とGさんいいわれて
「そうですねえ いいですねー」年上なので敬語です。
「でも3泊くらいだから、近場だね」
「はー韓国とかですかね」
「行きたい?興味ある?」
「うーん」
僕はその時、新大久保に住んでたので、なんとなく言っただけです。
「自分は韓国は嫌なんだけど、じゃあタイかな」
「タイですか」
「タイしってる?」
「タイ。タイ料理好きです。ランチに行ったりしてますよ」
「じゃあ行こう。」
「バンコク何回も行ったんじゃないですか」
「今回はあえて、きみみたいな初心者のコースをあえて回ってみたいんだよね。もう行き尽くしたんだけど、遺跡とか寺とかもみたいし」
その人は遺跡やらなんやらの専門家でした。大学の先生とかではありません。
「行きましょー」
「よしきまりだなー」
ということでタイ旅行が決まりました。
あの奇跡の「タダドイツ」から1年後、2007年のことです。
僕はちょっといいことがあって、小金を手にしていました。
なので、海外旅行も自力で行けるようになったのです。
でも、なんとなくピンとこないです。ピンとこないのは伝わっていたらしく
「地球の歩き方見て勉強しておいて」とか言われました。
「そうなんだ」と買って勉強するも、どうもピンときません。
そして「ちょっとホテルいいところでいい?ゆっくりしたいんだよね。プールで。泊まってみたいホテルがあって。」
「ああ、そうなんですか。いいですねプール」
気軽に返事をしてしまった。
そして彼の言う金額を払いました。「HISで5万とか6万とか書いてあるチラシ見るからそれくらいかな」と思ってたけどそれより高かったです。当時は燃油サーチャージもありました。
そして成田空港からJALかANAに乗ってバンコクに向かいます。
どうも僕の挙動がおかしいのに気づいたようで「前にドイツ行ったよね?」
と聞かれたので「あれは懸賞で当たってタダだったんです。添乗員付きツアー」
「何のツアー?ドイツのサッカーワールドカップですよ」
「興味あったんだ?」
「いえ、ドイツには興味ありました。」
という会話が繰り返され、バンコクに着きました。
「もう2回目だしラクラク」という感じでした。実際は初めての日本以外のアジアです。しかも個人旅行。しかし同行者は旅慣れしているので、大丈夫かなってのはありました。
円を「バーツ」に交換しました。だいたい「1000バーツが3000円くらいかな」と教えてくれました。わかりやすいです。
バンコク空港、スワンナプーム空港。新しいかっこいい空港です。ガラス張りです日が当たってます。がクーラーが死ぬほどかかってます。デザイン重視らしくコスト最悪だそうです。
そして日本の旅行代理店の車にのって、ホテルへ行きました。他に女性のグループがいました。
初めてのタイ。どんなところなのかな。
そこで見たものは僕の人生を変えたといっても過言ではありません。
写真がなくて悲しいですが、別に撮るほどのものではないです。
車は高速道路の高架下をまっすぐ進んでいったのですが(スクンビット通り)
周りの家の汚さ、古さ、人々の前時代感。
テレビや写真で知ってはいたとしても、実際生でみる「本物のアジア」でした。
高架の間にもビニールの家があったり、日本じゃ考えられません。
「すごい、すごい」
生まれて始めての感動です。小さい頃から世界に出ることが憧れだった。
本当にまた日本以外に来れた。
「すごい、超汚い!街が超汚い!考えられない!日本じゃない!」
前のドイツのときとは全く逆の状況なのに、感動していました。
なんか変ですよね。
道路はすごい渋滞でした。全く進まない渋滞。今でも深刻な問題らしい。
その度に通る人を観察する。格好は普通だ。綺麗でもなければ汚くもない。
道は汚い。全体的に歩道もテキトーに作った感がある。
日本と違う。
ガイドさんが「◯◯さま達はアジアホテルなので、この先降車になります」
と告げました。女性のグループのようです。
Gさんが「アジアホテルか・・・」とちょっとバカにしたようにいいました。
「どんなホテルなんですか?」
「・・安いところ!」
「ちょっと!聞こえますよ」
「行くとびっくりするから、今日泊まるところ」
なんだか怖くなってきました。
バンコクの一番賑やかな地域にそのホテルはありました。
ついて、「こ、ここか」と緊張して荷物を運ぼうとした瞬間に、すごいカッコイイ制服をした男の人に手を止められました。
「!」
「いいんだよ。彼にまかせて」
「あ。はい」
「ここではそうなんだ。本当に何にも知らないんだね」と笑ってました。
知りませんでした。止まるホテルがフォーシーズンズ・バンコクだなんて。
いや、知っていましたが、フォーシーズンズホテル・バンコクが高級な5つ星ホテルだということを知りませんでした。
エントランスに入った途端、想像以上の素晴らしい世界に衝撃を受けました。高級なホテルについて写真や映像で見ることはあっても、実際に足を踏み入れたのは初めてでした。実際に見る、泊まるのは初めてです。
「あああううう」チェックインでも緊張しちゃいます。
そこは手馴れたGさんが助けてくれました。
そして部屋に向かいます。ボーイさんが荷物を運んでくれます。
僕のいつも使っている安いケースです。「あんなの5つ星ホテルの人に持ってもらってわるいなあ」と思ってました。実際このケースはかなり最近まで使い倒しました。
こういうホテルってなんかいい匂いがするんですよね。アロマなのかな?
初めての体験です。初めての経験。気分は真野恵里奈ちゃんです。「はじめってのけーいけんーしそーうなー夏ぅー」知らないか・・・。
そして部屋です!
部屋を眺めていると、ボーイさんがニコニコ立ってました。それを見たGさんが
バーツのお札を何枚か私て、彼はもっとニコニコして去っていきました。
チップです。西洋では常識のチップですが、日本では存在しません。
タイではチップ制度があるのかないのかは微妙なところです。
Gさんは「まあ、フォーシーズンズだからね。アジアホテルじゃいらないよ」とか言ってました。
なんか写真では伝わりにくいのですが、とっても素敵な部屋です。
実家のペンションとは違います!ベッドはいい感じにふわふわで、まくらは「サイコー」としかいいようがないです。
これ以降、「良いまくらを買おう」と決意しました。
浴室の写真がありませんが、やはりすごく綺麗でした。アメニティも充実してました。確かブランド品の化粧水やシャンプーだったと思います。
なんか部屋の写真が全然ないんですよね。というか写真自体がないんです。
写真は国民的SNSサービスで今やゲーム屋として一世風靡している某M社に残してありました。でも少ないです。
この日は、ディナーをしたり、街を歩いたりしました。
ディナーは最高でした!せっかくなので、それはまた次回にします!
ご挨拶&リンク
みなさんお久しぶりです!
相変わらず更新が滞ってるこのサイトですが、管理者の状況が最悪になり当面のところ海外旅行、国内旅行には行けそうにありません。
しかし、僕はこの「さわやかトラウマ一人旅日記」が好きです。他にも本家と最近始めた日記サイトがあります。
こちらでもこの「さわやかトラウマ一人旅」のことを書いてます。
今は絶望的な状況ですが、まだまだ書いていない旅行など、たくさんあるので、それを書きたいと思います。Facebookにログインできなくなったので、ちょっと写真が少なくなるかもしれませんがその分、なんとかカバーします。
また、このサイトのモバイル版、カテゴリ表示などがないので、各ページのカテゴリリンクを載せていきます
2012ミャンマー編 カテゴリーの記事一覧 - さわやかトラウマ一人旅日記
イスタンブール・イタリア編
2013イスタンブール・イタリア編 カテゴリーの記事一覧 - さわやかトラウマ一人旅日記
北海道逃避行編
2013北海道 カテゴリーの記事一覧 - さわやかトラウマ一人旅日記
2011年台湾編
2011年台湾 カテゴリーの記事一覧 - さわやかトラウマ一人旅日記
2006年 ドイツ・サッカーワールドカップにタダで行った編
ドイツ、ワールドカップ編 カテゴリーの記事一覧 - さわやかトラウマ一人旅日記
たったこれだけですが、どれも面白いと思います。アクセスが多いのはやはりローマ編です。「エステ荘の噴水」を実際に見に行って、もしかしたらブログに行き方を書いたら役に立つかもしれないと考えて書いたら、ほんとうにこのブログを参考に行ったという方からコメントを頂いたりしたこと、すごく嬉しかったです。
また、最近は台湾が多いですね。台湾ブームですからね。
今は辛い状況ですが、なんとか頑張ってまた旅行に行けるようにしたいです。
とりあえず1人旅ではないですが「初めて行ったタイ」について書きたいと思います。僕が今まで一番行ったのはタイです。たぶん5回か6回くらいってます。
そのうち2回が2人旅です。あとはずっとひとりです。
2人旅は1回目と2回目がちょっと違うので面白いと思います。何が違うのか、それはひとことでは言えません。
それではよろしくお願いいます。
よろしくお願いします。
これからもよろしくお願いします。
【番外編:ドイツ4 最終回】いよいよ試合開始、そして旅の終わり
会場に入ると、その大きさ、人の多さに圧倒された。ドルトムントのスタジアム。65000人収容。東京ドームより大きい。それにサッカーのために作られたとのこと。
そのせいか見やすかった。たぶんいい席だったと思う。さすがYahoo様だとフカシくんと納得する。
実はサッカーの試合を生で見るのは2回目だった。1回目は高校の時、正月の高校サッカーに自分の高校が長野県代表で出たので、吹奏楽部の応援部隊として大宮のサッカー場で見たのが最初だ。演奏しながらだったので、試合がどうこう、サッカーがどうこう等は全く感じる余裕は無かった。
その後、日本代表の出る大きな試合などを見る程度だった。まさかそんな人間なこんなところに来ていいのか。まあ、いいんだ。当たったんだから仕方ない。
試合会場に入ると一面黄色だった。
とにかくブラジル人、と思しき人が多かった。現地からもたくさん来ているんだろうか。ドイツとブラジルといったら、ドイツと日本より遠い。日本経由じゃなくてアメリカ経由だと近いんだろうか。
そしてパワーがすごかった。ラテンのノリというと簡単だけど、何か違うと感じました。この人たちに勝てるんだろうか?と思うと無理な気がしました。いくら無知といってもブラジルが強くて日本が弱いということはわかってました。
その中で戦いに挑む日本代表の選手達はすごいなとわかりました。
そして試合開始!したと思ったらいきなり日本が得点!
ほんとにいきなりでした。まさかこれは・・・このまま・・・勝利・・・!
と思いましたが、ノーカウントになったらしいです。残念。
その後割と双方いい感じに試合が進んだと思います。僕はよくわからないのですが、フカシくんはやっぱり詳しいので、一流選手のテクニックに「おおすげえ」とか「おお〜」とか声をあげてました。
僕といえば「ロナウジーニョの髪すごいな」とか中田と中村俊輔は髪型でわかるなとか、そういうことしか思えませんでした。
しかし、サッカーというスポーツは面白いなと思いました。
とにかくスピーディーで、相手チームに攻め込んだ時のドキドキ感。観客の一体感は他のスポーツより面白い。
少なくとも野球よりは面白いなと思いました。野球はいっつもダラダラして、デブ男が偉そうにしてるクソスポーツなので嫌いです。
サッカーがいかに世界で人気があるかもよくわかりました。それに比べて野球なんてアメリカ、日本、韓国、台湾でしか人気がありません。「世界のイチロー」なんていっても実は誰も知らないのです。日本人は「世界=アメリカ」だから仕方ないですよね。
そんなことを思っていたら、玉田選手が1点決めます。もしかしたら勝てるのかも?と思いましたが、なんとなくダメな気もしました。そのままハーフタイムに入りましたが「だめかもね〜」なんて言ってたら、後ろのブラジル人男性に「ハーイ」と話しかけられました。
英語で「ハーイ!日本のチームはどうだい?」みたいなことを聞かれたので「うーん、日本はとても弱いです。ブラジルが今日はきっと勝ちます。ブラジルは世界一デスねー」みたいに答えたら「オー」ともう一人のブラジル男性と困ったネみたいなそぶりをして「おーもっとポジティブに考えよう」とアドバイスされました。楽しかったです。
やっぱりブラジル人は明るいですね。陰鬱な日本人とは違います。憧れます。
それを象徴するようなことが後半戦での観客席でありました。
前半での奮闘はどこへやら、ブラジルに次々と点を入れられます。明らかにわかる力量の差に、日本の観客席は明らかに元気がなくなりました。
そうすると青い帽子をかぶった人が「お前ら!応援してんだから!もっと大きい声出せよ!!」みたいなことを後ろに向かって言いだしました。なんか日本の体育会系みたいな感じで不快です。そりゃ正論なんだろうけど。
「まあ仕方ないな」って感じで他のみなさんも応援してました。
でもどう頑張っても負けるこの試合、最後まで諦めずに走って、相手選手について、回って、チャンスがあれば走っていって、常に全力の日本選手が一人いました。
それは中田英寿選手です。
その姿には悲壮感がありました。
中田英寿といえば僕と同じ年。若い時からスターでした。前園と変なCMに出たりとかそういう時期もありましたが、徐々にステップアップをして、イタリアに移籍しました。山梨の進学校出身なので、英語もできて、イタリア語も即マスターしたとのこと。ファッションも話題で、とても真似はできないけど、美容院で「中田英寿っぽくお願いします」と言っていたのを思い出します。
その後イタリアでも成功して、怪我はあったけどそこそこ順調だったと思う。しかし自分の国がワールドカップでろくな成績を残せてない。それは恥だと思っていたはず。
それはこの日のプレーで伝わりました。
そして試合は終わりました。1-4 完敗でした。
会場はまだ余韻が残っていて、観客が騒いでます。選手達はユニフォーム交換などのコミュニケーションをして早々に立ち去っていきます。
しかし、フィールドに残っている選手が一人いました。
中田英寿です。
全てが尽き果てたのか、芝に横になって、何も見えないように目を隠して動かないでいました。
その様子に客席から「ヒデーーーー!!!」という絶叫が響き渡りました。
彼にその声は聞こえていたのかわかりません。
僕が見ている間、彼にかけよる人は誰もいませんでした。
本当のところはよくわからないけど、彼は孤独だったのかもしれません。
それでも日本の勝利のために、ただ一人走り続けた。他のチームメイトはついていけなかった。
広いフィールド、たった一人、倒れ込んで動かない。
なんだか彼の孤独と哀しみが伝わってきたような気がしました。
客席からの声はまだ響いてましたが、バスの時間があるということで、僕たちはそうそうに立ち去りました。
そして、数日後彼がこの試合を最後に現役を引退すると知りました。
試合開始前から監督には伝えていたそうです。
最後、倒れて動かなかった彼はあそこで「死んで」しまったんだと思いました。
次の人生のために、再生するために。
今でも心に残ってます。
そしてこの旅は終わりです。この夜はホテルに泊まり、翌日はホテルのある街を少し観光したりしました。名前ももうわからない小さな街ですが、 観光をは楽しかったです。カフェのケーキもコーヒーもパンケーキもおいしく、公園も綺麗でした。やっぱりヨーロッパは最高!
この後、ヨーロッパに行けたのはイタリアだけです。
もっと行きたいけど、そういう状況でもなくなってきました。
なので、まだ書いてない一人旅の日記を書きたいと思います。
実は一人旅で一番行った国はタイです。
なのでタイについて書きたいと思います。
あとがき
大事なことを書くのを忘れてました。
この旅行はYahoo!Japanさんが当時スタートして今はもうないSNS「Yahoo360」というサービスのスタートのキャンペーンで企画されたものでした。
それに応募した時、僕は競合サービスのmixiの社員でした。今はもう辞めて無職です。
果たして行っていいのかと思いましたが、当たらせてくれたんだからどうどうと行こう、ということで行きました。
でも、会社の人や社長には「クレジットカードのキャンペーンであたった」と嘘をつきました。ごめんなさい><
でもデュッセルドルフの食事会で「みなさんyahooのサービス使ってますか?」と聞いたら使ってないとのこと。みんなmixiを使っているとのことで。やっぱり!と心の中で思ってました。そこで言っちゃえばよかったなって思います。
それだけです!
長い間更新しなくてすみません。
無職で暇なので、どんどん書きたいです。
もう一つの「さわやかトラウマ日記」も宜しくお願いします。
ここまで読んでくれてありがとう。